深浦の思い出

今年も青森へ行った。
青森には、30年来の友人が住んでいる。毎年の夏、「ねぶた祭」見物を兼ねて、彼ら家族に会いに行くのである。
今年は、ルノーメガンツーリングワゴンで出かけることにした。このクルマでロングドライブするのは初めて。考えてみれば、ヤフオクで20万そこそこで落札したのも3年前の青森からの帰路だった。正確に言えば、落札ではなく入札。JR羽越本線の列車内からiPadで入札したのだ。

国道7号線 鼠ケ関付近

国道7号線 鼠ケ関付近

そのまま自宅に帰り着いて、メールの確認をしたら「落札」してた。

ルノーメガン ツーリングワゴン

ルノーメガン ツーリングワゴン

あれから、3年も経っちゃったのか、、、。
ま、とにかく今回は、このクルマで高崎を夕方に出て、途中で仮眠をとり、翌日の午前中に友人宅へ到着する予定。

道の駅岩城

仮眠をとった「道の駅岩城」

今まで、青森には、いろいろな手段で出かけていったものだ。昭和48年の第一回目は、上野から急行「津軽1号」という寝台急行に乗り、東北本線、奥羽本線と乗り継いだ。みちのくへの夜行列車という中学1年生の自分にとって初めての雰囲気を味わい、眠れぬ夜をすごした。

東北本線の夜行列車を索くEF57

東北本線の夜行列車を索くEF57

その後は、北海道からの帰り道に立ち寄るくらいだったのだが、ある年クラシックギター仲間だった青森の友人に誘われ、ねぶた祭のハネトを経験してから、この街がグッと近い存在に感じられるようになった。祭りというのは、観るより参加するものなのだという事がよく分かった。

最近では、青春18切符を利用したり、寝台特急「あけぼの」のB個室でゆったりと出かけたり、バイクのツーリングで出かけたりと、毎年の夏、涼しい青森で過ごすことにしている。

立佞武多

立佞武多

五能線は、青森県の弘前駅と秋田県の東能代駅を結ぶローカル線で、大正時代の蒸気機関車8620型が残っていた数少ない路線。西津軽の荒涼とした海岸沿いを走る趣きのあるところで、どうしても、ここを走る汽車の写真が撮りたかった。

五能線 能代駅を発車する東能代行き列車

五能線 能代駅を発車する東能代行き列車

能代~向能代 米代川橋梁をゆく8620

能代~向能代 米代川橋梁をゆく8620

ディスカバージャパンのスタンプ

ディスカバージャパンのスタンプ

1月の成人の日を含めた連休を利用して、宿泊は五能線の中間点である港町「深浦」の旅館と決まった。

五能線 大間越~岩館

五能線 大間越~岩館

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現在の大間越駅

現在の大間越駅 隣の陸奥黒崎駅は、白神岳登山口駅と名前を変えていた。

五能線 大間越~岩館 48640

五能線 大間越~岩館 48640

実は、この前年の暮れに五能線で大事故が起こった。深浦駅~広戸駅間で荒波が道床をさらい、ちょうど通りかかった8620の索く列車が脱線転覆してしまったのだ。この区間は本当に荒波が被るほど海との間際を走る区間で、機関士が殉職するという大惨事となり、この区間は不通となった。我々が出かけた時もまだ復旧しておらず、深浦駅~北金ヶ沢駅間がバスによる代替輸送となっていた。その為、ダイヤは乱れ、入念に計画していた撮影計画は、ことごとく変更ということになってしまった。思い出深いけれど、とても残念な旅となった。

現在の大間越~岩館

現在の大間越~岩館

ある夏(’83頃?)、旧い中古のトヨタマークⅡGLで青森へ出かけた時のこと。ドライブ好きな友人がどこかへ行きたいと言い出し、それでは、深浦へ行ってみようということになった。中学生の旅の時に泊まった旅館「越後屋」を見てみたい、という個人的な理由で。
青森から国道7号線、101号線を走り深浦へ向かった。

深浦駅と越後屋旅館のスタンプ

深浦駅と越後屋旅館のスタンプ

10年ぶりくらいに訪れた深浦の町は、季節こそ違えど、記憶にあるものとほぼ同じだった。駅から旅館に向かう道もその町並みもイメージ通り。そうだ、ここを通って、この辺りで背負っていたリュックサックが破れちゃったっけ、、、などと、いろいろな思い出が蘇る。ところが、自分がイメージしていた「越後屋」の場所は間違っていたらしく、結局、分からずじまいとなった。地方の小さな旅館が、そんなに景気がいいわけじゃないし、おそらく、やめてしまったのかなと思っていた。まだバブル景気が訪れる前の話だ。

数年前に訪れた時は、グーグル等で「越後屋」を検索してみたけど、見つからず、やはりやめてしまったのだと確信したのだった。

ルノーメガン ツーリングワゴン 岩館~大間越

ルノーメガン ツーリングワゴン 岩館~大間越

今年の夏、青森からの帰りは、往路と同じコースをとることにした。
昨年、バイクで帰った時、国道7号線を南下したのだけれど、意外と渋滞する場合があったり、遅い車が延々と前を走り続けるということがあったりして秋田まで意外と時間を要したのだ。
それに、地図で見ても五能線沿いのコースと距離には大差ない事がわかった。しかも、五能線コースに渋滞はないし、海沿いの素晴らしい景色の中をマイペースで走っていける。
今回は迷わず、こちらを選択した。

それと、新潟県村上市あたりから高速道路を使うとしたら、22時を過ぎないとETC割引対象にならないということが判明したのだ。だとすれば、ゆっくり走って行かなければならない。深浦あたりで時間を潰しつつ帰ろうということにした。

青森、津軽新城にある友人宅を朝7時に出発。朝8時からやってる五所川原のイオンモールにて食料やドリンクを購入。そのまま101号線を鰺ヶ沢方面へ向かいます。
途中、千畳敷近く、風合瀬の道の駅にて休憩。ここは鮮度のいい魚介類を格安で販売してるので地元の人達が買いに来てる。クーラーバッグを積んでくればよかった。
ここを過ぎれば、すぐに深浦の町。

深浦駅

深浦駅

今回は、「越後屋」が建っていた場所だけでも特定して、写真を撮ろうと思ったので、近くの住民の方に聞いてみた。
「昔、越後屋さんって旅館がありましたよね?」と聞いたら、「あぁ、越後屋さんね。この先100mくらい行ったところだよ。(もちろん津軽弁)」
「もう、やめちゃったんでしょ?」「えぇ~?まだやってると思うよ。(もちろん津軽弁)」とのこと。
なんと!越後屋さんはまだ営業されていたのです。どうして、グーグル検索でも出てこなかったんだろう?と思いつつ、iPhone5で調べてみたら、、、「あった!」。

深浦 越後屋旅館

深浦 越後屋旅館

深浦 越後屋旅館

深浦 越後屋旅館

越後屋さんは、自分が訪れた時とほぼ同じ外観で、営業されていた。建物を見た時、あぁ、こうだったと記憶が蘇ったのです。
深浦駅までは自分が思っていたより若干遠く、寝坊して、まだ暗い早朝の町を抜けて走った時の心細い気持ちを思い出した。

深浦 越後屋旅館前の通り

深浦 越後屋旅館前の通り

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リュックサックには、他の荷物に混じってソニーのカセットテープレコーダーまで入っていて、とても重かった。これを背負って走ったもんだから、駅につく直前にビリビリと破れてしまい、両手で抱え直して、さらに走ったのだ。ギリギリで代替バスに間に合ってホッとした。このバスの車窓から、まだほの暗い広戸に至る途中の本来撮影する予定だった場所や脱線転覆現場付近を見ながら通過した。

深浦駅へ至る道

深浦駅へ至る道 おのあたりでリュックが破れたのだ

深浦~広戸

深浦~広戸

予定が崩れたので、五能線に揺られ川部駅へ。ここで黒石線の8620を垣間見て、弘前へ向かい機関区を見学。8620が何台も残っていた。

鰺ヶ沢駅と五所川原駅のスタンプ

鰺ヶ沢駅と五所川原駅のスタンプ

My beautiful picture

その後、青森駅へ。青函連絡船を見て、北海道への旅を予感。駅前で食事をして特急列車(はつかり3号24Mだったか)で大宮経由高崎へ戻った(と思う)。

青森駅 大雪丸から見た青函連絡船跨線橋

青森駅 大雪丸から見た青函連絡船跨線橋

ところで、鰺ヶ沢の町中で不吉な看板を見かけた。「核廃棄物・中間貯蔵施設建設反対」というもの。まったく、何を考えているのか、、、。

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